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「猫箱」という言葉の定義について

 うみねこにおいて、猫箱いう言葉は頻出します。この言葉は元々、「シュレディンガーの猫」という物理学の確率解釈を元にしています。

 http://ja.wikipedia.org/wiki/シュレーディンガーの猫

 この部分から、うみねこの「猫箱」と「シュレディンガーの猫」の類似点を抜き出します。
・この系において、猫の生死はアルファ粒子が出たかどうかのみにより決定すると仮定する。
・アルファ粒子が放出される確率は50%だとする。
・猫が生きている確率は50%、死んでいる確率も50%である。したがって、この猫は、生きている状態と死んでいる状態が1:1で重なりあっていると解釈しなければならない。
 
 つまり、うみねこ本編に置き換えると
・ある命題が成立しうる場合、それは命題として仮定して良い。
・命題が真である可能性、命題が偽である場合については両方について検証しなくてはならない。
・命題が真である可能性、偽である場合が成立した場合、真である確率は50%、偽である確率は50%である。したがってこの命題は真である可能性と偽である可能性が1:1で重なりあっていると解釈しなくてはならない。

 命題
http://ja.wikipedia.org/wiki/命題

 ということになります。つまり、箱の中の猫は死んでいるか、生きているか。これを命題としてとらえた場合、についても例として当てはめてみます。

 命題:箱の中の猫は生きているか
 真:箱の中の猫は生きている
 偽:箱の中の猫は死んでいる
 
 となります。今度は同じ命題を視点を変えてみましょう。

 命題:箱の中の猫は死んでいるか
 真:箱の中の猫は死んでいる
 偽:箱の中の猫は生きている

 となります。いずれにせよ、「箱の中の猫は生きているか」「箱の中の猫は死んでいるか」を両方検証しなくてはならないわけですから、両者に大差はありません。

 そして、当然ですが、どちらかに確定した場合、どちらかの考えは捨てなくてはいけません。また、どちらも成立しなかった場合には、どちらも捨てなくてはいけません。

 ここで、「箱の中の猫は、生きているわけでも死んでいるわけでもなく、実は卵に変わっていたのではないか」という可能性が現れたとします。

 その場合は、「箱の中の猫は卵に変わったのではないか」というのは、このようになると思います。

 命題:箱の中の猫は卵に変わっていた
 真:箱の中の猫は卵に変わっていた
 偽:箱の中の猫は卵に変わっていない(猫のままである)

 生の対義語は死です。そのため、生を真とした場合、死は偽。死を真とした場合、生は偽。つまり、命題とは真と儀で、構成される。2択にしかならず、3番目の可能性が出てきた場合は、まず、最初の根幹の動かせない命題から審議する必要があることがわかると思います。
 
 箱の中の猫は生きていた、そしてその猫は卵に変わっていた
 箱の中の猫は生きていた、そしてその猫は猫のままだった(卵に変わっていなかった)
 箱の中の猫は死んでいた、そしてそこには猫の死骸があった(卵は生きているものなので、すでに死んでいることが確定された今は、生きている可能性は存在しない) 
 箱の中の猫は死んでいた、そしてそこには猫の死骸があった
 
 例えば、死んでいた、ということが確定された場合、生きている可能性を色々と考えても、それは全て捨てることになってしまうと私は思います。
 しかし、死んでも卵に変われるとすると、3番目は成立する可能性があるのでは?と思った人が居たとします。私はそうは思いませんけど、そう思ってもいいんです。それくらいうみねこは曖昧なんです。だって作り話なんですから。ファンタジーで、アンチファンタジーで、ミステリーで、アンチミステリーなんですから。

 この、最初の根幹の動かせない命題について、私の周りの考察仲間は前提条件という名前をつけて呼んでいました。「赤字は成立するか」「ゲーム盤の殺人事件は現実に再現する可能性があるのか」「ノックス十戒は厳守されているのか」など、など。その考察者、プレイヤーが大事にしている大前提の条件であり、命題です。
 私は考察の中で、その人の前提条件は何なのか、ということを気にしてツイッターなどで話を聞いていました。そして、並立した両方が真である可能性、偽である場合が成立した場合の命題、作中の言葉を借りるなら「並び立つ真実」から一つを選んだ場合、その先に広がっている選択肢は、全然違うものになるでしょう。

 私の好きなゲームに「逆転裁判」というシリーズがあります。これは、法廷を舞台にしたアドベンチャーゲームで、ミステリーゲームです。
 主人公は弁護士で、ストーリーの多くは、無実であるのに犯罪者にされてしまった依頼人の冤罪を晴らす為に弁護するという流れになっています。法廷で、弁護士である主人公と検事は「依頼人が殺人を犯したか?」ということについて議論します。様々な角度から、様々な可能性を検証していきます。主人公は「依頼人以外にも殺人を行うことが出来た可能性」を提示すると、また現場を調べ、関係者に話を聞き、様々な角度から検証していきます。この場合、依頼人が殺人を犯していないと確定された場合、別の人が犯人に即時決まるわけではありません。新しい容疑者が殺人を犯したかということを争点となり、再度、法廷が設けられます。また、依頼人は別の殺人を犯してはいないが、別の犯罪を犯している可能性も、再度別の法廷が設けられます。
 その際に、初期主人公のライバルは「絶対に被告人を有罪と信じて行う」ということをモットーにしていました。その理由は、そのライバルの心情とともに変化するので、ゲームをやってぜひ感じ取って頂きたいのでここでは書きませんが、ライバルの検事が「有罪という点を曲げずに検証する」主人公が「依頼人は無実だと曲げずに検証する」ことで、いくつもの突破口が開かれる様子が描かれます。
 これはうみねこで言うなら、片目でなく両目で見るということに繋がっていると思います。 
 
 うみねこ考察者、プレイヤーのみなさん。自分が信じる説に対して、徹底的に検証していますか?両方の可能性から選んでいますか?片方の可能性が成立しただけで満足してませんか?それで、自分の意見を行ったり来たりと変えていませんか?

 本編の考察とはあまり関係ないかもしれませんが、どこかの誰かの役にたつかもしれないと思って、この記事を残しておきます。
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うみねこの現実世界の出来事

 本ブログでのうみねこ現実世界の出来事を時系列順に並べる。
可能性が一つでなく並列するものについては、本ブログが選んだ以外のものを青字で記載する。また、劇中に描写がなく、推測に基づくものも同様に青字で記載する。


・金蔵、戦時中に六軒島にてベアトリーチェ・カスティリオーニ(以下ビーチェ)と出会う。日本軍とイタリア軍の間で黄金を巡る殺し合いが発生し、金蔵とビーチェのみ生存する。(EP7準拠)※イタリア軍に奇襲にあったという金蔵が被害者的解釈と、金蔵が計略を仕掛けた金蔵が加害者的解釈が並列する。(EP7準拠)
   ↓
・ビーチェ、イタリアに帰らず、金蔵の愛人となる。(EP7準拠)
   ↓
・金蔵とビーチェの間に女児(以下、九羽鳥庵ベアト)が出来る。彼女は六軒島にある右代宮家本宅とは別の九羽鳥庵にて生活する。(EP7、EP3準拠)
   ↓
・ビーチェは死亡後、金蔵は九羽鳥庵ベアトをビーチェの生まれ変わりだと信じ、関係を持ち子どもを作ってしまう。(EP7、EP3準拠)
   ↓
・九羽鳥庵ベアトは娘が赤ん坊のうちに六軒島内で死亡してしまう(EP3,EP7準拠)
   ↓
・九羽鳥庵ベアトの娘は福音の家で幼少期(推定小学校就学前後)を過ごす。その時に与えれた苗字は「安田」名は不明だが、本ブログでは紗音の本名から「安田紗代」とする。(EP2,EP7準拠)
   ↓
・九羽鳥庵ベアトの娘、源次の計らいによって異例の若さで右代宮家の使用人になる。使用人としての名前「紗音」を得る。使用人仲間の先輩から、苗字をもじった「ヤス」というニックネームを付けられる。(以下、九羽鳥庵ベアトの娘をヤスと表記)(EP7)
   ↓
・ヤス、六軒島の魔女ベアトリーチェの伝説を知る。使用人としての生活の中で、自身が魔女ベアトリーチェと認識するようになるが、他人に対して特に名乗ったりはしない。(EP7)
   ↓
・ヤス、使用人生活を続けながら、親族会議の度に会う金蔵の孫たちと交友を深める。特に戦人と趣味のミステリー(読書)を通じて親密になり、将来の約束をする。(EP7)
   ↓
・戦人、母親・明日夢の死、父親・留弗夫の再婚騒動により右代宮家から籍を外す事を決意。これより親族会議に出席しなくなる。戦人との約束が果たされないヤスは、恋の芽をイマジナリーフレンドの魔女ベアトリーチェに移して、新しい恋を探す。ヤスの心を慰める事を目的に、イマジナリーフレンド「嘉音」が誕生する。(EP7)
   ↓
・ヤス、譲治と交際を始める。(EP7)
・ヤス、真里亞と交流を深める。物をなくす魔女は、悪魔ガァプとしての名前を得て設定変更される。(EP7)

※この一括りの項目は順番を作中の情報から特定することが出来ない。
   ↓
・ヤス、碑文の謎を解き、10トンの黄金、爆弾、右代宮家当主の資格を得る。自身の出生の秘密を知り、金蔵が与える予定だった名前「理御」「三代目ベアトリーチェ」としての名前を得る。(EP7)
   ↓
・ヤス、自身が「恋もできない体」であると知る(EP7)※原因は崖から突き落とされたから?(EP5)金蔵の娘で会った場合、戦人、譲治、朱志香とは叔母と甥、もしくは姪の関係になる、でも説明可能(本ブログではこの考えを採用)。また、「恋もできない体」という曖昧な表現である以上、他の事項の可能性も存在する。
   ↓
・1986年10月4日~5日事件のあった親族会議が行われる。碑文の謎は親たちによって解かれ、その後ふとしたことから親族通し殺し合いに発展する。6日未明、六軒島は爆発する。(EP7)
   ↓
・6日に絵羽は九羽鳥庵に避難し、生存。(EP3,EP4,EP7,EP8)
・同じく6日、戦人、ヤスも地下貴賓室に逃れ生存。二人はボートに乗って六軒島を脱出しようとするも、ヤスはボートから飛び降りて入水自殺する。(EP3,EP4,EP7,EP8)※ベアトリーチェが飛び降りていること、戦人もベアトリーチェを追って海に沈んでいることから、別の解釈も可能。
   ↓
・戦人は生き残るも記憶を失い、その後回復しても右代宮戦人の記憶が自身のものとは思えないという障害になる。(以下、後天的な記憶喪失後の戦人を劇中の描写に従い十八とする)(EP8)
・十八は八城幾子によって保護される(EP8)
・ヤスの投じたボトルメールが漁師の手によって発見される。後に、最初に発見されたものと全く違う内容のボトルメールがもう一本発見される。(EP4)
・インターネットの普及が進む。「新たなボトルメールが発見されました」という体裁で、様々な人物が記した1986年10月4日から5日の碑文殺人の小説(以下、偽書)がネット上に公開される。(EP6,EP8)
・1998年、右代宮縁寿死亡。(EP3,EP4,EP6,EP8)
・伊藤幾九郎◯七五六が偽書Banquet,Alliance,Endをネット上に公開する。(EP6)

※この一括りの項目は順番を作中の情報から特定することが出来ない。
   ↓
・縁寿は伊藤幾九朗◯七五六というペンネームから作家の八城十八にあたりをつけ、面会の申請もするも、先方には断られた。(EP8)※EP6では縁寿は八城十八という女性作家と面会を果たしている。
   ↓
・伊藤幾九郎◯七五六が偽書Dawnをネット上に公開する。(全EPから考察の上の推測)※EP6の縁寿が八城十八の家でこの小説を読んだ記述から、公開されていない可能性も考えられる
   ↓
伊藤幾九郎◯七五六が元々の作家としてのペンネーム・八城十八でRequiem,twilightの内容を含めた内容をネット以外の方法で公開する。(全EPからの考察の上の推測)

※寿ゆかりと十八の邂逅は作中の最新の時間軸の中では、まだ起こっていないこととする。

八城幾子考察〜ヤス=幾子関する議論について〜

 EP6から登場した八城十八。EP8のエントリでも彼女については考察して来ましたが、このエントリでは彼女はヤスなのではないか?という部分を論点に再考察して行きたいと思います。
 
ヤス=幾子説

 私がこのブログを通して論じてきた解釈とは違う内容になりますが、10月6日に起こったことはEP8の考察に書かれた通り。その後の流れもEP8のエントリの通りになります。死ぬつもりだったヤスですが、結果的に死ぬことが出来ず生き残ってしまう可能性はあります。
 そしてヤスはここで名前を捨て、八城幾子を名乗ります。しかし、色々な問題があります。
 ・ヤスがベアトリーチェに移した恋の芽は何処にあるのか?(入水シーンの解釈)
 ・縁寿に対して連絡を取らない理由はなんなのか?
 ・そもそも小説を書いたりしないで全てを世間に公表すべきではないか?
 
 これも回答出来ます。

 ・ヤスがベアトリーチェに移した恋の芽に関して
 そのままベアトリーチェが持っています。EP8の????ではベアトリーチェと戦人の再会によって黄金郷の扉が開く様子が描かれます。また、幾子と十八は結婚していないとも示されており、十八または戦人がこの場合においても、幾子をヤスと認識しているかも曖昧なままです。
 ゆえに、ヤス=幾子が成立した場合でも、ベアトリーチェと戦人の恋愛も成立する可能性を残したままと言えます。

 ・縁寿への連絡に対して
 これもEP8の????の情報をそのまま採用することで説明出来ます。当ブログの場合、縁寿は死亡したという公式発表があったということなのでそもそも連絡をすることが出来ないのですが、もし、EP8のような状況が成立した場合でも、「十八は戦人と自身の記憶の不一致な状況に苦しんでおり、自殺未遂をするに至るほどだった。そのため、戦人の肉親である縁寿に会ったら、取り返しの付かないことになってしまうと思った。だから、再会を慎重に手配した」これですべて説明はつきます。

 ・世間に対して関係者だと示し、知りうることを伝えないことに対して
 これも縁寿に連絡を取らないのと同様の理由です。十八と戦人のことを考えての結果と言えます。そして、魔女フェザリーヌと幾子の外見は同一ですが、幾子が伊藤幾九郎◯七五六として偽書を発表していたということは言い切れません。あくまで、話のプロットを考えて書いているのは十八であり、幾子は表現のサポートにとどまっていると可能性もあります。この場合、十八が気持ちとエピソード記憶を整理しながら少しずつ執筆をしていくことは、記憶障害の治療にも役に立ったのかもしれません。

 ゆえに、ヤス=幾子も成立はする、しかし、今まで全ての考察の結果からヤスはあの場で死んだと考えるのが妥当である、と結論したのがこれまでの当ブログで考察してきた内容でした。


現実世界でも繰り返されるベアトリーチェの魔法体系

 今回、この記事をエントリーするきっかけになったのは、同じ考察仲間であることんさんのブログに感銘を受けたからです。
 以下に記事とリンクを張ります。

 幻想水面歌「ヤス生存及び幾子である可能性と意味」


 このブログで一番に皆さんに読んで欲しい部分は魔法エンド????のラストの語り手が幾子であるということからの一連の記述です。
 補足しますと、寿ゆかりに招待された幾子と十八は、導かれるままに扉を開け、そこではまるであの日の六軒島のような光景が広がります。記事にも描かれていますが、福音の家についたシーンでは三人称視点で描かれますが、この扉をあけてからは一人称視点に変わります。語り部を担当するのは、十八の車椅子を押す“私”という人物です。「十八の車椅子を押しながら、私たちは廊下を進み」という記述から、幾子であるとするのが自然です。他には十八、寿ゆかりが考えられますが、十八自身がそういうのは不自然ですし、ここを戦人と捉えても今までの記述と口調などの表記が一致しないため不自然です。寿ゆかりに関しても、その後の「縁寿が」という記述と他人行儀に語っている(そもそも、ゆかりならばここも私、もしくは寿ゆかりになるはず)という事からも、幾子だとするのが自然です。
 そして、“私”こと幾子は、この場所を六軒島の屋敷のホールだと断言します。このブログの一連の記事は、ヤス=幾子で描かれますが、ヤス≠幾子とした場合、このシーンの解釈は以下のようになります。
 これは寿ゆかりこと縁寿が、「六軒島の事件の発端であるヤスのことを許した」ヤス≠幾子なのですから、当然、そのようになります。魔女と兄ことベアトリーチェと戦人の仲を認め、完全にあの事件とも兄とも決別した。これを主に戦人との記憶の葛藤に苦しんでいた十八の心の重荷を開放する意味合いで行ったということになります。幾子は反魂の魔女、エンジェ・ベアトリーチェがヤスの魂を現世に蘇らせるために使った依代となります。兄に連れ添う親しい女性ならば、その役目に相応しく、作家であり、数々の物語を心から愛し、八城十八が書いた六軒島の物語にも造形の深い彼女は、そういった能力的観点から見てもこの役目に適任です。この一連のシーンが終わったあとに、幾子なら「私を依り代に、ベアトリーチェの魂が蘇り、この場の光景を見届けました」くらいの気の利いたことは何の打ち合わせもなくても、ゆかりの思いを察知して言ってくれると思います。縁寿の反魂の魔法を持ってして物語が終局する様子は、EP4のさくたろう復活とも響き合い、「うみねこのなく頃に」のラストシーンとしてふさわしいのではないかと思います。

 このシーンを検証していて、ヤス=幾子に関連する議論は、EP1の????でベルンカステルが言った「ベアトリーチェはサイコロのどんな目がでても満足する」という記述と響き合っていると思いました。

・ヤス=幾子であると「うみねこのなく頃に」のプレイヤーが結論した場合
 物語の中でヤスは生きていることになります。しかし、ただ、この結論に至った場合、愛の為に縁寿を始め、自分たちが良ければそれでいいという考えを持たれる可能性もあります。それでも生きていることは素晴らしく、“作者”は満足します。

・ヤス≠幾子であると「うみねこのなく頃に」のプレイヤーが結論した場合
 ヤスがあの日の六軒島で死ぬに至った経緯を読者に理解してもらえることになります。同時に、“作者”がどんな気持ちで六軒島の物語を紡いできたかも理解することが出来ます。それはそれで、満足します。しかし、では、“作者”はなぜ幾子をヤスの年齢である19歳と関連付けた名前にしたのか、名前だけに留まらず、様々な特徴からヤスを連想させる特徴を幾子というキャラクターに持たせたのかということに関して、これだけでは明確な意図は理解出来ません。

・ヤス=幾子とヤス≠幾子を議論した結果、それでも物語の中でヤス=幾子であるとプレイヤーが結論した場合
 ことんさんのブログのようになります。以下、引用します。(許可はとってあります)

未来に「縁寿は兄と再会することができ、黄金郷で全ての恋人たちが幸せになり、現世を生きる自分たちも幸せになれる可能性があったんだよ」と、「だから生きていて良かったんだよ」と、戦人は“彼女”に言いたかった。だから物語を書いて、ベアトリーチェに捧ぐと結んだのでしょう。

この戦人の世界に、ヤスはきっともうどこにもいません。
「なぜ“彼女”が死ななくてはならなかったのか」とずっと考え、「“彼女”が死ぬ必要などなかった」というひとつの答えが出た。

ただ、紡がれた世界の住人からしてみればヤスは生きているのです。
ヤス=幾子もヤス≠幾子もどちらもそれぞれの世界では、その中に限りそれが真実なのである。
それが『うみねこのなく頃に』の世界観なのだと私は解釈しました。

幻想水面歌「ヤス生存及び幾子である可能性と意味」より


 
 ヤス=幾子とヤス≠幾子が議論されている間、ヤスが生きている確率とヤスが死んでいる確率は1:1で重なり合っていました。そして、幻想が打ち砕かれ、すべての真実が明らかになったあとも、その議論の最中の間だけでも幸せに生きていた現世の恋人たち、そして、その“作者”の思いを知って、これが幾子をああいったキャラクターに設定した意図なのだと当ブログは結論します。

 なお、文中の“作者”に関しては、ことんさんと同じく、十八こと戦人を想定しています。

偽書作家テスト EP8

1.「ゲームマスター」と「作家(物語の筆者)」の違いは?
 EP5の考察でも述べたが、ゲームマスターというのは元々はテーブルトークRPGというボードゲームの用語である。
ゲームの進行役であり、審判でもあり、プレイヤーを楽しませるホストのような役割も持つ。ゲームマスターが一般にシナリオを用意して物語を進行してくが、EP6の????でフェザリーヌが作ったシナリオでベルンカステルがゲームマスターを行うという記述もあり、それにとどまらないように読み取れる。
 ここでは、ゲームマスターは作者がどういう意思で書いているか擬人化したものであるとする。魔女または魔術師でないとゲームマスターを務めることはできないことから、特徴を挙げていく。

 ・ベアトリーチェ(黄金の魔女、無限の魔女)
 このゲームのデザイナーでもある。紗代の執筆動機そのもの。テーマは紗音と戦人、紗音と譲治の恋愛である。自らが課したルールを守る。
 
 ・ラムダデルタ(絶対の魔女)
 ベアトリーチェの後継人。ベルンカステルを永遠にこのゲーム盤に閉じ込めることを目的とする。そのため、引き分けをプレイヤーに誘発するシナリオを用意した。彼女はベアトリーチェのゲームを理解していながら、ヱリカの夏妃犯人説と戦人の戦人犯人説の両方を成立すると認め、最終的には紗音が犯人であるとコールしなかった。
 また、魔女側、人間側のプレイヤーの力の均衡を良しとするため、真相を確定させないことで魔女側に有利な状況をつくり、探偵権限というルールを開放し、人間側に有利な状況を作った。

 ・ベルンカステル(奇跡の魔女)
 真実を求める縁寿の後継人。ひどい状況からラムダデルタを破って抜けだした経歴を持つ。(前作「ひぐらしのなく頃に」の古手梨花がモデル。)すべての謎が解かれ、真実が露呈することを目的としている。彼女が朗読者を務めたEP7はまさに主犯の安田紗代の告白をそのまま語ったものであり、また、お茶会の内容は絵羽の日記帳という唯一生き残った一族の手記であるため、その特徴と合致する。
 ベアトリーチェではないので、ベアトリーチェが自らに課したルールXYZを踏襲しないシナリオが作れる。理御の登場するEP7はまさにルールXの10月4日より前の事柄に関してうみねこ現実世界と違った史実であるためである。このことをベルンカステルは「ベアトリーチェの猫箱よりもさらに大きな猫箱でおおっただけよ」と表現している。

 ・バトラ(無限の魔術師)
 ベアトリーチェのゲーム盤のすべてを理解し、真相に至ったとされている。この触れ込み通りに、紗代の執筆動機そのものを理解する。テーマは戦人と紗音、譲治と紗音に加え、朱志香と嘉音の恋愛も同列に扱った。
 
 また、EP8では縁寿をプレイヤーに招いたゲームも開催した。このゲーム内でもプレイヤーを縁寿に合わせるため、ベアトリーチェのゲームのルール改定を行なっている。
 ・ルールXを改定し、史実と違うように縁寿を六軒島の1986年10月4日と5日に存在させる
 ・紗音と嘉音をプレイヤーの前に同時に存在させる
 ・紗音とベアトリーチェも同時に存在できる
 ・金蔵は生存している
 ・碑文殺人は、碑文が解かれなくても起きない
 
 補足的に、EP8で登場した「黄金の魔女のお孫さん」として登場したベアトリーチェの解説をする。古風な話し方や慇懃無礼な態度、明るくて口が悪いという特徴はEP5で死んだベアトリーチェを彷彿させる。しかし、EP5では薔薇庭園で生き人形になったベアトリーチェのとゲームマスターの駒であるベアトリーチェが登場した。このことからも、このEP8に登場するベアトリーチェはゲームマスターの駒であるといえる。詳しく言うのであれば「ルールX(1986年10月4日以前への介入を禁ずる)を適応させず、1986年10月以前に戦人が紗音に連絡をとった世界のベアトリーチェ」と言った所。幻想の住人とニンゲンがともに会合するシーンからは、EP6で戦人と結婚したベアトリーチェである。

 
2.各EP(EP1~8)の作者は誰?
 EP1の作者は紗音こと安田紗代。流れ着いた漁師がボトルメールを発見する、というEP1のラストのくだりをそのまま解釈する。

 EP2の作者は紗音こと安田紗代。EP4の当初、一本だと思われていた漂流したメッセージボトルがもう一本流れ着いた。そしてその内容が最初に流れ着いたものと全く違うものであったという記述をそのまま採用する。EP2に書かれている内容には譲治と紗音、朱志香と嘉音、金蔵とベアトリーチェの恋愛が描かれており、紗代の作品のテーマでもある。

 EP3の作者は八城十八こと記憶を失った戦人。EP8での八城十八は二人組の作家であり、原案担当の十八と執筆担当の幾子にわかれているという記述、EP6で縁寿とあった八城十八が伊藤幾九郎◯七五六として発表した作品がBanquet、Alliance、EndがそのままEP3とEP4とEP5のタイトルと同名であることから、この記述をそのまま文脈通りにとらえる。

 EP4の作者は八城十八こと記憶を失った戦人。理由は同上である。

 EP5の作者は八城十八こと記憶を失った戦人。理由は同上である。

 EP6の作者は八城十八こと記憶を失った戦人。ただしこのEPが98年世界で公開されたかは不確定であるが、EP5が「戦人がゲームマスターを務めて、真相に至っていることを証明して終わる」ということで終わりを迎えた以上、インターネット上に公開はされたものであると思われる。最後は戦人はバトラ卿になり、ベアトリーチェと結婚する。うみねこの現実世界である98年世界では、これをもってして終わったとする。

 EP7の作者は、八城十八。本編は安田紗代の記述、もしくは日記などを元にしてそれをうみねこのプレイヤーに向けて解答として発表したもの。EP6同様、このEPが98年世界では偽書としてインターネットに公表されたかは不確定であるが、ここではされていないとする。ベアトリーチェのゲーム盤のルールに則っていないからである。
 作中の登場人物として読む機会があるのは、寿ゆかりこと成長した縁寿が十八こと戦人から読ませてもらった。
 
 EP8の作者は、八城十八。EP6、EP7同様、このEPがうみねこ98年世界で偽書としてインターネットで公開されたかは不確定であるが、ここではEP7同様されていないとする。理由は同上である。
 作中の登場人物で読む機会があるのは、寿ゆかりこと成長した縁寿が十八こと戦人から読ませてもらった。もしくは出版など、別の形で発表があった。この件に関しては、設問.10にも類似事項がある。
 

3.ベアトリーチェの心臓とは何か?
 ベアトリーチェのゲーム盤を構成するルールそのもの。黄金、爆弾、共犯者の嘘、2本のボトルメール、別人とも同一人物ともとれる紗音と嘉音など、今まで考察してきたすべての事項。


4.ヤスの血縁関係を分かる範囲で説明せよ
 EP7の情報をそのまま解釈して、ヤスこと安田紗代の父親は金蔵。母親は金蔵の愛人ベアトリーチェの娘。

 
5.真里亞は事件にどのような影響を与えた?
 紗代の物語の幻想描写を助けるオカルト知識をもたらした。また、真里亞の複雑な家庭環境における絶望が紗代の事件を実行に移すという決意をさせた原因の一つになった。

 EP4で縁寿が読んでいた真里亞の日記帳について。EP4で登場するシエスタ姉妹、真里亞の日常生活、さくたろうなどの記述に関する情報は作者はどうやって入手したのかという点について。本ブログの考察では現実世界の縁寿は飛び降り自殺したと報道され、その知らせを知った八城十八により入手・もしくは閲覧したとする。

 ※別解
・真里亞に関連する記述は、八城十八の創作であり想像である
・八城十八=戦人だということから、幼い頃の縁寿や霧江、留弗夫を通じて断片的に知り得た可能性もある
・真里亞の日記が複数存在し、縁寿のもっていた日記と八城十八が持っていた日記が違うものである


6.赤字と金字(黄金の真実)について説明せよ
 赤字は物語上のルール。現実世界では、ある人物が発した言葉が赤い文字で表示されることはない。つまり、赤字が表示される箇所は創作された物語であると言える。赤字の意味自体については、ゲーム盤と同じく真実として採用して良いものであるといえるが、これまでと違って作者が勝手に決めているわけではなく、うみねこの現実世界である程度証拠を提出できるような事項。
 金字は今までと同じく、その場にいる全員が認めた、信じた事項。


7.八城幾子&フェザリーヌの正体と登場理由は?
 八城幾子について。彼女の作中での特徴を示す。

 ・EP6で伊藤幾九郎◯七五六として偽書を発表する。(幾子とは名乗っていない)
 ・伊藤幾九郎◯七五六は推理小説家・八城十八の別のペンネーム。EP6では対外的には男性だが、実際は女性。
 ・八城十八は有名な小説家。
 ・街なかの家に住んでいる。
・魔女フェザリーヌになる。慇懃無礼な口調。縁寿を巫女に物語を観劇する。

 ・EP8(幾子と名乗っている)
 ・推理小説家。EP8では対外的には女性だが、実際は男性と女性の二人組の作家。
 ・海の近い家に住んでいる。
 ・赤字を使用する。
 ・人の見ていない所では魔女フェザリーヌになる。
 ・話し方は普通の大人。 

 と、同じ立ち絵の人物でありながら、差異が見られる。ということから、EP6で登場した八城十八とEP8で登場した八城十八こと八城幾子は別人であると考える。
 
 登場理由としては、ベアトリーチェの真相に至り、ネットに偽書を発表し続ける伊藤幾九郎◯七五六=八城十八の擬人化であると考えられる。どうして八城十八はあの日の六軒島のことを知っているかのような偽書を書くことができるのか?という謎の提供だと言ってもいい。

 EP6では、縁寿に原稿を見せて、感想を問う。当ブログでは縁寿は98年世界では飛び降り自殺をしたと公表されているとするので、この八城十八と縁寿の出会い自体が偽書に書かれた内容だとしている。EP6での八城十八の登場理由としては、「この偽書を縁寿に読ませることが目的である」とする。EP8の????を見る限り、実際には、縁寿は八城十八に面会の申請をしたが、それは実現しなかったという記述がある。また、縁寿自身もこれから起こるであろう記憶を持っている。このことからも、このシーン自体が幻想であると分かる。

 EP8では、八城十八は名前を変えた縁寿こと寿ゆかりと再会する。ここで初めて、八城十八は二人組の作家であり、記憶を失った戦人と、その世話をした幾子の二人組であると明かされる。ここでも幾子は「異常に若い」と描写され、この記述こそがこのシーンも幻想であるという示唆である。
 このこと自体は現実に起こったことでなくずっと遠い未来の話であるする。死んだと思っていた縁寿が生きていた、それも自分自身の小説を読んで、その教えを守り、実践していた。このシーンは縁寿目線で描かれるが。このことこそが戦人にとって奇跡であり、反魂の魔女が魔法使って妹を蘇らせた瞬間である。

 以上より、フェザリーヌの正体は記憶を失った戦人こと十八であり、幾子は十八の世話をした人物で現在は作家としての仕事仲間でもある女性であり、魔女フェザリーヌの外見イメージになった人物とする。

※別解
 この他にも考えることはできるが、他の設問との整合性を考えて、ここでは割愛する。本記事はフェザリーヌの称号である、観劇と戯曲と傍観の魔女のうち、「戯曲」の面を捉えただけである。



8.ベルンカステル&ラムダデルタの正体は?
 一言で言うとするなら、設問1.の回答により、ベルンカステルは「真実の究明」という概念の擬人化、ラムダデルタは「猫箱の維持」の擬人化であり、八城十八の小説の登場人物。ラムダデルタがときに人間側のプレイヤーに利することを行うのは、「魔女のしわざ」で自体が収束することも大義的に見れば一種の真相の一元化だからである。
 ただし、ゲーム盤を俯瞰できる能力はネットユーザーや偽書作家を示唆し、モデルになったと思われる「ひぐらしのなく頃に」の古手梨花と鷹野三四との類似点など、特性はこれだけに止まらないように思われる。
 

9.「一なる真実の書」の内容は?
 右代宮絵羽の日記。EP7のお茶会の内容である。しかし、ベルンカステルが「私はひねくれているから」と言っている通り、絵羽の主観、あるいは絵羽の日記帳を読んだ人物の主観が入った内容と言える。


10.八城幾子が真実の書と鍵を持つ理由は?
 ここでいう八城幾子はフェザリーヌのことであると捉え、作者である十八が真実の書=絵羽の日記帳を読んだことによって、縁寿が自殺するに至ったといううみねこ世界の現実とリンクしている内容である。
 縁寿を救うためには、自殺の原因である絵羽の日記帳を読ませないことが必要である、ということを幻想描写をかけて描写したのがこのフェザリーヌと真実の書の公開イベントであるとする。このシーンも物語として描かれたものであり、実際にこういった催しが行われたかは疑問が残る。しかし、絵羽の日記帳の公開をめぐっての攻防と、日記帳を読んでもなお、思い出や目標を持つことで生きていくことは出来る。これが十八からのメッセージであり、このシーンの意義である。
 もし、EP7とEP8の内容をネット以外の媒体で「六軒島爆発事故の関係者による告白」として出版、公開などをした場合、そのことがこのシーンの現実化と捉えることも出来る。
 

11.ボトルメールを流した人物とその理由は?
 安田紗代。戦人、あるいは誰かが魔女の正体と自分の動機に気がついて共感してもらうため。ボトルメールはワイドショーでも取り上げられ、ネットで偽書を発表が行われるなど一大ムーブメントになり、結果記憶を失った戦人のもとにも届いた。
 その結果、そのラブレターへの返答とも取れる幾つもの偽書が発表され、紗代の思いは戦人に受け入れられた。


12.12年後の世界やメタ世界は偽書に書かれたこと?
 12年後の世界については、結論からいうと偽書に書かれたこと。実際には、作者である伊藤幾九郎◯七五六こと八城十八が右代宮縁寿が飛び降り自殺をしたとテレビなどで見て、偽書や執筆物のなかにその設定を取り入れて書いたもの。
 ここからは本ブログの推測になるが、うみねこ現実世界では上記のような報道がされただけであり、各EPの詳細な内容は全て伊藤幾九郎◯七五六こと八城十八の推測、あるいは創作。おそらく、絵羽の日記こと一なる真実の書にはEP7のお茶会のような内容が書かれており、それを読んだ縁寿はショックのあまり飛び降り自殺をした。と八城十八は推測したはずである。
 一般に、世界は平行世界ではないとされている。そのため、縁寿の人生は各EPの中の一つ、もしくはどれでもないということになる。
 
 各EPの縁寿の運命を検証する。
 EP3は「魔女にかどかわされて、ビルの上から飛び降りた」と幻想描写される。
 EP4は「ビルから飛び降りたが、それが原因で死んだとは限らない。実際は六軒島へ真実を探す旅をして、結果として暗殺される。それを第三者が飛び降り自殺したと発表した」ということ。
 EP6もEP4と同様である。こちらの天草は暗殺の相談を小此木としており、前述の内容はますます強調されると言える。
 EP8は「ビルから飛び降りて死んだとその場にいる全員に口裏合わせられる。戸籍上の社会的な意味合いにおいて、死亡。しかし、本人は名前を変えて生きている」という内容。生きていれば、十八とこ記憶をうしなった兄にもあう機会がある。

 どのEPもビルの屋上に行き、色々な出来事があるが、結果的に何らかの形で死亡する。実際に、縁寿がとった運命はどれかも定かではないが、EP8の内容であれば、魔法エンドのエンディングが成立する。八城十八の希望はすくなくともEP8の内容であると本ブログでは結論する。



 メタ世界については、EP3以降のEPについては実際に偽書に書かれている。EP2のメタ世界はシーンの合間に解説のような形で赤い文字によるコメントなどがついていた内容と推測。ボトルメールには魔女と戦人の会話はなく、EP3からの体裁に合わせてEP2を焼き直したものが我々が見ているサウンドノベルである。


13.八城十八が偽書を発表した理由は?
 偽書作家たちのおもちゃにされる親族をみて心を痛めたため。縁寿の自殺の原因が間接的に周りの心無い人間だと示唆するため。
 EP3を発表した理由は当時、一番最初に真実とされていた絵羽犯人説であるかのようなシナリオにし、世間の興味を引くため。しかし、一つ一つを吟味していけばそうでないとわかる。
 EP4を発表した理由は、ベアトリーチェの動機をはっきり描くためと、縁寿の記述から幻想描写や魔法自体の解説を行うため。
 EP5を発表した理由は、この物語の読み方を解説するためと、ワイダニットをはっきり提示しないで、フーダニットとハウダニットのみで心ない偽書を書く世間をヱリカという形で揶揄したため。
 EP6を発表した理由は、紗音嘉音問題という謎に対する回答を示すためと、ベアトリーチェと紗音と嘉音がそれぞれの想い人と結ばれるシナリオを書いてこの物語を終わりにするため。
 EP7、EP8については、当ブログではネットでの発表はなかったとしているが、もし発表したとすれば、縁寿に対して思いを伝えることと、再会を期待するため。


14.3日目の描写の前には何が起こった?
 EP7のお茶会の内容が起こったあと、絵羽は地下通路を経由して九羽鳥庵へ。詳細に関してはEP3、EP4の考察を参照。紗代と戦人は地下通路を通って反対方向にあると推測される地下貴賓室に逃れ、爆発をやりすごす。紗代はここで爆弾を解除することも出来たが、一族同士の殺し合いの起きてしまった六軒島を警察などの操作が入った時に、当日の状況を分からなくするため、爆弾を解除しなかった。
 その後、EP7で語られた身の上話をする。金蔵と九羽鳥庵のベアトリーチェの間に生まれたこと、崖から落ちた後遺症で恋もできない体になったこと、碑文の謎を解いて黄金を手にしたこと。今日行うつもりだったこと、それが予定が違ってしまったこと。ここで戦人が聞いた情報がEP7を書くときのベースとなっている。
 10月6日になり、紗代と戦人はボートに乗って六軒島を脱出しようとする。実際には紗代は戦人に説得され、渋々ボードに乗っただけであり、ボートから飛び降りて入水自殺してしまう。
 戦人の説得の内容は「一緒に島を出よう。生きて罪を償おう」という趣旨のもので、紗代の恋愛や葛藤を完全に受け止めてのものでなかった事、そうであったとしても、自分自身の恋のルーレットの目にしたがったということ。碑文の謎が解かれて殺人が終わるか、それ以外の場合は六軒島を爆発し、猫箱を形成し、黄金郷で恋を成就させる。また、現実では、恋も出来ない体で子供が作れないこと、金蔵の孫ということが判明してしまった為、戦人、譲治とは叔母と甥の関係となり、血が濃くなるため結婚はできない。自身が近親相姦で生まれたのなら、なおさらこの事項は彼女の心の中で禁忌として、深い絶望を与えていたと思われる。
 一方、戦人は結果として彼女を助けることが出来ず、ボートから新島に渡り、生還する。彼女がどうして自殺してしまったのか、この段階では理解できなかったと思われる。

 
15.戦人とベアトリーチェが入水した意味は?
 この描写は創作である。が、現実で起きたことと部分的に同じであり、部分的に装飾を行なっている。現実に起こったことは設問13.に書いたとおりである。よって、この設問はこのシーンが書かれた意味という意味合いで回答していく。

 これは、一言で言ってしまうと、戦人とベアトリーチェの思いが通じ合った瞬間として描かれている。現実で起きたことの違う点は
・紗代でなくベアトリーチェとして会話している
・船上でのキスシーン
・魔女を追って飛び込む戦人
 しかし、作り話であっても、もし、こういうことが起きたとしたら、ベアトリーチェは本当に満足して死ぬことが出来たのではないかと思われる。
 空想の結婚ではなく、現実をなぞりながらも新たに描写されたシーンは、一瞬でも思いが通じあって死ぬことが出来たとあらゆる意味で示されており、それも現実に起こる可能性があったということから、このシーンが描かれた。

 「俺達の世界では、なんの罪も犯しちゃいないさ」という戦人の台詞がある。
これはEP7のお茶会である絵羽の日記を1986年10月4日、5日の事実として捉えると、紗代は実際には殺人を犯していない。むしろ被害者である。これを「殺人計画は結局は実行されなかった。自らの手で殺人を犯してはいない」とも解釈できる。
 

16.八城十八が寿ゆかりに行った告白の真実は?
 どうして八城十八は、ベアトリーチェのルールを踏襲した偽書がかけたのか?戦人が生きているなら、なぜ縁寿に連絡をとらなかったか?という疑問を説明するというシーンである。このシーンも「異常に若いと描写される幾子」は幻想描写を示しており、嘘の可能性も存在するが、当ブログではこの記述をそのまま真実として解釈する。


17.福音の家の黄金郷が意味するものは?
 ベアトリーチェと縁寿に対する物語を書き終えて、戦人と十八が分離したことを意味する。精神疾患であった場合、治療や分離は簡単なことではないが、この物語を持ってして、十八の中の戦人は役割を終えたとも取れる。


18.魔法と手品、縁寿にとってより良い選択は?
 真実を求めた手品ENDではなく、反魂の魔女として兄や真里亞の教えを伝える道を選び、懸命に生きる魔法ENDの方で結果的に兄の知り得る真実も分かる。どちらがいいというものでは無いが、縁寿のためにこの物語を書いた兄の視点からは魔法ENDを選んでほしいことが分かる。


19.山羊が世界を食い尽くす描写の意味は?
 インターネットやワイドショー、噂などで低俗な様子が好まれて語られ、その様子があたかも事実であるように世の中に浸透していき、縁寿の心を傷つけているという様子を幻想化したもの。


20.「うみねこのなく頃に」全体の真相は?
 安田紗代が海に投じたボトルメール以外の、すべてのEPを書いたのは戦人である。目的はベアトリーチェの意思を正しく伝えるため、物語を通して、ベアトリーチェに自分の思いを届けるため、自殺してしまった縁寿に手遅れでも自分の思いを届けるため、さらに、自身の記憶障害の治療のためである。
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