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EP1〜EP7 嘉音の存在意義

 EP6によって、それまで別人でも、同一人物でも解釈可能だった嘉音が、同一人物だと決定されてしまった。私はEP6を読んでそう解釈しました。どんな手をつかっても密室にとらわれた戦人を救出したいというベアトリーチェの描写、ヱリカに最後の人数を宣言するときにベアトリーチェに「本当にいいのか?」と確認をしていたバトラ、そしてそのベアトリーチェの返答を見ても、嘉音が幻想だと宣言する手掛かりを用意してしまうのは心苦しい事だったと思います。しかし、そうしても戦人のピンチを助けたいという気持ちも同時に伝わってきました。嘉音はもともと幻想だったのか、戦人を助けるために幻想になってしまったのか。どちらともとることが出来ます。いずれにせよ、この時点で決定されてしまったことではありますが。

 紗代が嘉音という人物をボトルメールに書かれた小説に登場させてことについて、どのような意図があったか考えたいと思います。
 まず、一番に疑問に思うのは、「どうして別人でも同一人物でも解釈できるようにしているのか」という紗代の執筆動機の点です。本当はというか現実では同一人物ならば、偽書では絶対別人になるように設定したほうが登場させる意味合いがはっきりとするように思います。これについては「現実で再現するときには、嘉音の件は全部省略で、行動などは紗音がそのまま行うから」というのを私の主張とさせて頂きます。現実で再現する際には回想シーンは再現出来ません。その時間における現在のことしか出来ないわけです。それでも、嘉音という人物を登場された理由としては「黄金郷に嘉音を導くため」であり、別のブログのエントリーで回答した通り、「物語として、紗音の補佐的な役割や深みを出すため」なのではないでしょうか。
 死体が消える、というトリックについても、もっと色々なアイディアがあったのかもしれません。

 EP7を読むと、嘉音は寂しいヤスの心の存在を埋める弟のような存在だとありました。ということは、彼は本当に存在しないとEP7で決定されてしまったという事になります。では、なぜヤスは嘉音を犯行計画書の中に登場させたのか、実際はどうするつもりだったのか、実際にいないなら親族の反応はなんなのか。こういった疑問について考察して行きましょう。

 嘉音と紗音のシーンで代表的なもののひとつに、EP2の冒頭の海の見え方についての会話があります。

 

「海。……嘉音くんは、海が何色に見える?」
  その問い掛けはあまりにシンプルだった。
  
  嘉音は、その問い掛けにどれほどの意味があるのか、しばらく推し量ったが、何も思いつかなかったため、素直に自分の答えを述べた。
 「…ぱっとしない、ねずみ色だよ。それが何?」
  曇天の空の下に広がる海は、客観的に見て嘉音の表現する色が一番相応しかっただろう。

  ……でも紗音は目を閉じて微笑みながら、小さく首を横に降る。
 「私には真っ青に見える。」
 「……そういう意味? 緑色の信号を青っていうようなものでしょ。」
 「違うの。……海は真っ青。私にはわかって、嘉音くんにはわからないなら。…これがつまり、そういうことなの…。」

 「うみねこのなく頃に」Episode2「素晴らしき理想の世界」より引用



 これは、「心がけ次第で世界の見え方が変わってくる」という話です。EP7を見るとヤスはさまざまなイマジナリーフレンドたちに励ましの言葉をかけてもらいながら、日々を過ごして居る様子が描かれます。

 

 「そうかもしれないね。だって、あなたが右代宮家の使用人に選ばれたのは本当に不思議だもの。……ひょっとすると、本当にあなたは誰かが噂してたようにに、右代宮家の血筋を引く、誰かの隠し子かもしれないね。くす。」
 だったらすごいね、大金持ちの仲間入りだね、と紗音は笑います。
 でも、私はほんの少しだけ、微妙な気持ち。

  「うみねこのなく頃に散」Episode7「新しき生活」より引用






 「戦人が右代宮家を抜けたのだって、案外、そなたとの未来を見据えてのことなのかもしれぬぞ?」
 「あら、どうして?」
 「二人で暮らし、将来、婚姻の契りを交わすことまで見通したなら、右代宮家の使用人である紗音と結ばれるには、右代宮家の姓が邪魔することもあるかもしれぬ。」
 「あぁ、なるほど! 使用人の娘と結ばれるなんてギャンギャンって言われることを見越して、先に右代宮の姓を捨てたってわけね…!」
 「どうだ、紗音! これならば全てに筋は通るというもの!戦人が右代宮の姓を捨てたのは、そなたを考えてのことよ! 留弗夫との唐突な親子喧嘩は、それをもっともらしくする口実に違いあるまい。」
 「素敵な推理だわ! さすが、リーチェ!」
 「わっはっはっはっはっはっはっは…! どうだ、紗音。落ち込むに値しないではないか! それどころか、そなたと結ばれるために、戦人が先に決意を見せたようなものではないか!」
 「……くす。……くすくすくすくすくすくす……。」
  私の顔に、ようやく笑顔が戻る。
  さすがに、魔女の話を真に受けて安堵したわけではない。
 
  むしろ、まったく逆。よくも、そんな都合のいい、滅茶苦茶な解釈が出来るものだと、滑稽になってしまったのだ。

  「うみねこのなく頃に散」Episode7「試される日」より引用



 など、など。赤い魔女に箒を隠される事に始まり、EP7にはこのような対話が数多く見られます。これは、友達の居なかったヤスが自分に起こるさまざまなことを、色々な考え方をして考えを深めながら乗り越えて行く様子を表しています。のちにガァプとなる、赤い魔女に関しては物をなくす癖を様々な対策をしていく様子を、「魔女に魔法を使われないように、魔女に抵抗する魔法的な施しをしよう」とヤスが努力する様子は、「ベアトリーチェのような立派な魔女になろう」と決意する真里亞の様子に重なります。年長者が目下の者にわかりやすいように合わせるということです。

 以上のことから、安田紗代にとってイマジナリーフレンドとは、普通だったら自分なら考えないような考えを与えてくれる存在であったと思います。自分の性格では思いつかない発想、もしくは、昔の自分だったらこう考えていたかもしれないけど、現在の自分は様々な経験でこう考えるようになった。本来ならば他人=友人によってもたらされるものを、自分一人で行なっているということです。たくさんの友人に囲まれていなくても、そういった人間と同じだけの恩恵を受けてやろう。だって、世の中には目に見えない精霊がいて、そうした声を感じることが幸せを見つける方法なのだから。これは彼女が福音の家で教育された内容なのですから。彼女はそれを実践しているに過ぎません。

 しかし、その福音の家も源次が手を回して入ることになったわけですし、金蔵が資金を回して立てたものです。赤い魔女も熊沢の言葉がなかったら信じるに足らない存在だったでしょう。真里亞を弟子にとって魔女修行を始めたのもこの経験が土台になっています。先輩使用人がいなかったら、自分が未熟とも、悔しいとも感じることがなかったと思います。そして、恋をする相手なしには、紗音が嘉音に海の青さを説くこともありません。結局は、イマジナリーフレンドたちが生み出される過程には他人が介在しているのです。

 彼女が異常なのか、普通の人間の域を超えないのか。幸せなのか、可哀想なのか。そういった内容については主観的な意味合いが強すぎるのであえて論じません。皆さんそれぞれが独自の感想を持って欲しいと思います。
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