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「猫箱」という言葉の定義について

 うみねこにおいて、猫箱いう言葉は頻出します。この言葉は元々、「シュレディンガーの猫」という物理学の確率解釈を元にしています。

 http://ja.wikipedia.org/wiki/シュレーディンガーの猫

 この部分から、うみねこの「猫箱」と「シュレディンガーの猫」の類似点を抜き出します。
・この系において、猫の生死はアルファ粒子が出たかどうかのみにより決定すると仮定する。
・アルファ粒子が放出される確率は50%だとする。
・猫が生きている確率は50%、死んでいる確率も50%である。したがって、この猫は、生きている状態と死んでいる状態が1:1で重なりあっていると解釈しなければならない。
 
 つまり、うみねこ本編に置き換えると
・ある命題が成立しうる場合、それは命題として仮定して良い。
・命題が真である可能性、命題が偽である場合については両方について検証しなくてはならない。
・命題が真である可能性、偽である場合が成立した場合、真である確率は50%、偽である確率は50%である。したがってこの命題は真である可能性と偽である可能性が1:1で重なりあっていると解釈しなくてはならない。

 命題
http://ja.wikipedia.org/wiki/命題

 ということになります。つまり、箱の中の猫は死んでいるか、生きているか。これを命題としてとらえた場合、についても例として当てはめてみます。

 命題:箱の中の猫は生きているか
 真:箱の中の猫は生きている
 偽:箱の中の猫は死んでいる
 
 となります。今度は同じ命題を視点を変えてみましょう。

 命題:箱の中の猫は死んでいるか
 真:箱の中の猫は死んでいる
 偽:箱の中の猫は生きている

 となります。いずれにせよ、「箱の中の猫は生きているか」「箱の中の猫は死んでいるか」を両方検証しなくてはならないわけですから、両者に大差はありません。

 そして、当然ですが、どちらかに確定した場合、どちらかの考えは捨てなくてはいけません。また、どちらも成立しなかった場合には、どちらも捨てなくてはいけません。

 ここで、「箱の中の猫は、生きているわけでも死んでいるわけでもなく、実は卵に変わっていたのではないか」という可能性が現れたとします。

 その場合は、「箱の中の猫は卵に変わったのではないか」というのは、このようになると思います。

 命題:箱の中の猫は卵に変わっていた
 真:箱の中の猫は卵に変わっていた
 偽:箱の中の猫は卵に変わっていない(猫のままである)

 生の対義語は死です。そのため、生を真とした場合、死は偽。死を真とした場合、生は偽。つまり、命題とは真と儀で、構成される。2択にしかならず、3番目の可能性が出てきた場合は、まず、最初の根幹の動かせない命題から審議する必要があることがわかると思います。
 
 箱の中の猫は生きていた、そしてその猫は卵に変わっていた
 箱の中の猫は生きていた、そしてその猫は猫のままだった(卵に変わっていなかった)
 箱の中の猫は死んでいた、そしてそこには猫の死骸があった(卵は生きているものなので、すでに死んでいることが確定された今は、生きている可能性は存在しない) 
 箱の中の猫は死んでいた、そしてそこには猫の死骸があった
 
 例えば、死んでいた、ということが確定された場合、生きている可能性を色々と考えても、それは全て捨てることになってしまうと私は思います。
 しかし、死んでも卵に変われるとすると、3番目は成立する可能性があるのでは?と思った人が居たとします。私はそうは思いませんけど、そう思ってもいいんです。それくらいうみねこは曖昧なんです。だって作り話なんですから。ファンタジーで、アンチファンタジーで、ミステリーで、アンチミステリーなんですから。

 この、最初の根幹の動かせない命題について、私の周りの考察仲間は前提条件という名前をつけて呼んでいました。「赤字は成立するか」「ゲーム盤の殺人事件は現実に再現する可能性があるのか」「ノックス十戒は厳守されているのか」など、など。その考察者、プレイヤーが大事にしている大前提の条件であり、命題です。
 私は考察の中で、その人の前提条件は何なのか、ということを気にしてツイッターなどで話を聞いていました。そして、並立した両方が真である可能性、偽である場合が成立した場合の命題、作中の言葉を借りるなら「並び立つ真実」から一つを選んだ場合、その先に広がっている選択肢は、全然違うものになるでしょう。

 私の好きなゲームに「逆転裁判」というシリーズがあります。これは、法廷を舞台にしたアドベンチャーゲームで、ミステリーゲームです。
 主人公は弁護士で、ストーリーの多くは、無実であるのに犯罪者にされてしまった依頼人の冤罪を晴らす為に弁護するという流れになっています。法廷で、弁護士である主人公と検事は「依頼人が殺人を犯したか?」ということについて議論します。様々な角度から、様々な可能性を検証していきます。主人公は「依頼人以外にも殺人を行うことが出来た可能性」を提示すると、また現場を調べ、関係者に話を聞き、様々な角度から検証していきます。この場合、依頼人が殺人を犯していないと確定された場合、別の人が犯人に即時決まるわけではありません。新しい容疑者が殺人を犯したかということを争点となり、再度、法廷が設けられます。また、依頼人は別の殺人を犯してはいないが、別の犯罪を犯している可能性も、再度別の法廷が設けられます。
 その際に、初期主人公のライバルは「絶対に被告人を有罪と信じて行う」ということをモットーにしていました。その理由は、そのライバルの心情とともに変化するので、ゲームをやってぜひ感じ取って頂きたいのでここでは書きませんが、ライバルの検事が「有罪という点を曲げずに検証する」主人公が「依頼人は無実だと曲げずに検証する」ことで、いくつもの突破口が開かれる様子が描かれます。
 これはうみねこで言うなら、片目でなく両目で見るということに繋がっていると思います。 
 
 うみねこ考察者、プレイヤーのみなさん。自分が信じる説に対して、徹底的に検証していますか?両方の可能性から選んでいますか?片方の可能性が成立しただけで満足してませんか?それで、自分の意見を行ったり来たりと変えていませんか?

 本編の考察とはあまり関係ないかもしれませんが、どこかの誰かの役にたつかもしれないと思って、この記事を残しておきます。
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